1999年1月アーカイブ

インターネット小史

最終更新 1999年1月30日

(追記:2007年3月22日)

原題:A Brief History of Internet(原文ブルース・スターリング)

リテラリー・フリーウェア(非商用)

「マガジン・オブ・サイエンスフィクション」
1993年2月号より

F&SF, Box 56, Cornwall CT 06753 年間購読料26ドル(USA以外31ド ル)F&SFサイエンス・コラム#5「インターネット」


 0年程前、アメリカの冷戦シンクタンク「ランド・コーポレーション」は、奇妙な戦略問題に直面していた。

アメリカの要人たちは、核戦争後、どうやって連絡をとりあうんだろう。

 核戦争後のアメリカでは、「コマンド・アンド・コントロール」の可能なネットワークが必要となってくるだろう……。町から町へ、州から州へ、基地から基地へとリンクされたネットワークだ。しかし、どんなにネットワークを頑丈に作ったところで、そのスイッチやワイヤーは原子爆弾の前では赤子も同然だろう。核による攻撃は、考えられる限りのネットワークをズタズタにするであろう。

 ネットワーク自体、どのようにして指揮をとり、管理するのか?すべての中央権力、ネットワークの要衝などは、明らかに敵ミサイル攻撃の標的になってしまう。ネットワークの中央部などは、一番最初に狙われる場所だろう。

 ランドはこの厳しいパズルを「軍事機密」の中でじっくりと考え抜き、明白な解答を手にした。ランドの提案(スタッフの一員、ポール・バランによる)は、1964年に顕在化した。まず最初にネットワークが「地方分権」であり、さらにズタズタになっても使えるように設計されているというものだ。

 原則はいたってシンプルである。

 ネットワーク自体は、あまり頼りにならない。

 「それ」は、それ自体の頼りなさを乗り越えて、デザインされたのであろう。全てのネットワークの節目は、ほかの全ての節目と同等の形態、という構造。お互いがそれぞれメッセージを発信し、パスし、受け取る。メッセージ自体は小包に分割され、別々に送付されていく。小包は節目の源泉から支流に流れて行き、特定の宛名までたどりつく。小包は、くねくねと蛇行しながら個々の場所を通過して行くのだ。小包の通り道は問題ではない。最終目的が問題なのだ。基本的には、正しい目的地にたどりつくまでホット・ポテトのように節目を通過していく。

 節目から節目へ。

 ネットワークが大打撃を受けた場合でも、それは大して苦にならない。小包はまだ飛行中で、生き残ったどこかの節目を横切っていくのだ。この行き当たりばったりのデリバリー・システムは、いわゆる「効率の悪い」やりかただ、と常人は思うだろう。(そう、さしあたって、例えば電話網と比べると)しかし、これは非常にたくましく、頑強なシステムなのだ。

 60年代、この興味津々の「地方分権」「耐爆構造」「小包交換」と言った概念は、ランド、MIT、そしてUCLAで創案された。英国の国際物理研究所は、これらの理念に基づいた、最初の実験ネットワークを1968年に起ちあげている。そのすぐ後、アメリカはペンタゴンの「アドバンスド・リサーチ・プロジェクト・エージェンシー」が、より大きく、より野心的なプロジェクトを始める。ネットワークの節目は、高速のスーパーコンピューター(あるいは、当時「スーパーコンピューター」で通用していたもの)である。これら希少で価値ある機械は、国際研究開発の分野で不可欠なものであった。1969年秋、そんな最初の「節目」が、UCLAでインストールされた。1969年12月、幼年期のネットワークは4箇所。「ARPANET(アドバンスド・リサーチ・プロジェクツ・エージェンシー・ネットワーク)」と名付けられたこのネットワークは、ペンタゴンが名付け親である。

 4台のコンピュータは、高速専用線でデータのやりとりが出来た。遠くのノードから、プログラミングも可能だった。「ARPANET」のおかげで、科学者、研究者はお互いのコンピュータ施設を遠くからでも操作出来るようになった。これは、コンピュータ使用時間が貴重であった当時、70年代初期にはまったくありがたいサービスであった。


 1971年、「ARPANET」は15の節目(ノード)に成長。1972年には32に成長した。うまい具合に動きだした。

 オペレーションから1年経過し、2年目におかしな事実が顕在化する。

 「ARPANET」のユーザーたちは、このコンピュータ・シェアリング・ネットワークを、「専用線で」「高速の」「助成金を受けた」電子郵便局、として利用しはじめていたのである。「ARPANET」の主要なトラフィックは、遠距離コンピューティングでは無くなった。


 その代わりに、ニュースと個人的メッセージが中心となったのである。

 研究者はネットを共同作業に利用し、仕事に関する情報交換をし、時には単なるゴシップや雑談を交換した。人々は、「ARPANET」コンピュータの個人的なユーザーアカウントを獲得し、電子メール受信のためのアドレスを持ち始めた。

 彼らはこのネットを「パーソン・トゥ・パーソン」のコミュニケーションに利用してばかりいたわけではない。彼らは、遠距離コンピューティングよりさらに熱心に、特定サービスに取り組んでいたのだ。

ーリング・リストが「発明」されたのは、それから間もなくの事であった。「ARPANET」のブロードキャスト技術、同一メッセージを自動的に購読希望者に配布するというこの「メーリング・リスト」。興味深い事に、最初に現れた、まったくドでかいメーリング・リストは、SFファンのための「SFラバーズ」なのであった。仕事とまるで無関係なこのSF会議、「ARPANET」管理者はこぞって眉をしかめたが、止められるものでもなかった。

 70年代が経過して行き、ネットは成長して行った。地方分権の構造は、膨張を容易にするものであった。標準の共同コンピュータネットワークと違い「ARPA」ネットワークは、まったく別種類のコンピュータ同士でも接続が可能であった。新しい「アナーキーなネットワーク」上で、個別の機械が、パケット切り替え用リンガフランカ(混成言語)を話す事が出来る限り、メーカーや性能、また、持ち主さえも関係ない話なのであった。

 「ARPA」の標準コミュニケーション手段は、「NCP」として知られている。「ネットワーク・コントロール・プロトコル」と呼ばれるこの手段、時の経過及び技術の発展とともに、より高次元なものへと変貌をとげる。より洗練された標準、「TCP/IP」がそれだ。「TCP」、いわゆるトランスミッション・コントロール・プロトコルは、源泉からのメッセージを小包(パケット)の流れに変換し、目的地で再びもとのメッセージに再構築する。「IP」、インターネット・プロトコルはアドレスを扱い、小包が複数の節目の経路を定め、さらにネットワークの複数の標準、「ARPA」が開拓した「NCP」標準はおろか、「Ethenet」「FDDI」「X.25」などをも、横切ってしまうように取り計らう。

 1977年には、「TCP/IP」は「ARPANET」へリンクする他のネットワークのプロトコルとして利用されていた。「ARPANET」自体は、少なくとも1983年、軍事区分が取り払われ「MILNET」に変わる時までは、きっちりとコントロールされていた。しかし、「TCP/IP」は全てをリンクした。「ARPANET」自身も一応成長してはいたが、爆発的に成長する、リンクされ行くマシン群の「大銀河」のど真ん中で、どんどん小さくなって行ったのである。

70年代、'80年代と時が経つに連れ、多くの様々な社会団体は、自分たちのコンピュータが高性能だということに気づいた。こうしたコンピュータから、複数のネットワークで構成される成長中のネットワークにリンクすることは、いとも簡単なことだった。TCP/IPの使用がさらに一般的になるに従って、ネットワークは全て、インターネットというデジタルの枠組みの中に収まってしまい、ネットワークどうしが複雑にリンクしあっていた。TCP/IPと呼ばれるソフトは「パブリック・ドメイン」であり、また本来その基本的技術が地方分権で、当然ながらアナーキーになるというものだったため、人々があちこちに乱入し、リンクしあうのを止めさせるのは、困難だった。

 それどころか、この枝葉を広げるネットワーク複合体へのジョイントを止めさせたいとは、誰も思わなかった。このネットワーク複合体が、「インターネット」として知られるようになるものなのだ。 

 インターネットへの接続は、納税者に殆ど負担をかけなかった。というのは、それぞれのノードは独立しており、各々が財政的・技術的要求を処理しなくてはならなかったからである。人が多ければ多いほど楽しくなっていく。人と情報源の範囲が広がるにつれて、コンピュータ・ネットワークは電話網同様、着実に利用価値のあるものになっていった。

 ファックスは、みんながファックスの機械を持っていないと意味がない。そうでない限り、ファックスは単に物珍しいものにすぎない。ARPANETもまた、しばらくの間は「物珍しいもの」だった。そのあとすぐ、コンピュータ・ネットワーキングは、必要性の高いものになっていった。

 1984年、NSF(the National Science Foundation 米国立科学財団)が、先進科学コンピューティング事務局(the
Office of Advanced Scientific Computing)を通して行動を起こした。新たなNSFNETは、ものすごいペースで技術の向上と、より新しく、速く、性能のいいスーパーコンピューターとのリンクを推進した。そのために1986年、1988年、1990年と、リンクをより太くより速くし、アップグレードと拡張を繰り返した。そして他の政府機関が参入してきた。NASA、国立健康学会
(the National Institutes of Health)、エネルギー省、それぞれが「インターネット連合」で、「デジタル統治管区」を管理していた。

 この複数からなるネットワークのノードは、いくつかの基本的な種類に分けられた。海外のコンピュータ、及びアメリカの一部のコンピュータは、その地理的な位置を示すことになった。その他のコンピュータは、6つにグループ分けされた。この6つは、基本的なインターネットの「ドメイン」で、すなわち、gov、mil、edu、com、org、そして
net だ(このような素っ気ない略称は、TCP/IPプロトコルの標準的な特徴だ)。Gov、Mil、Eduは、政府機関、軍関係、教育機関を示す。もちろんこれらはARPANETが、国家保安上のハイテク研究活動として始められて以来の先駆者だ。Com
は営利団体を表している。Com はすぐに、ロデオの牛のようにネットワーク上を駆け回ることになる。その周囲を熱心な非営利組織
org の塵雲が取り巻いている。(net はネットワーク間の通り口の役割を司る。)

RPANET自体は、1989年、正式にその幕を閉じた。圧倒的な成功の内に、「幸福なる生贄」となったわけだ。ユーザーたちは殆ど、このことに気付かなかった。ARPANETの機能は継続されているばかりか、着実に改良されてさえいたのだから。コンピュータ・ネットワーキングのTCP/IP規格は、いまやグローバルなものになっている。1971年、いまからほんの21年前(訳注7)、ARPANETには、たった4つのノードしかなかった。今日、インターネットには1万のノードがあって、42ヶ国に広がっている。オンラインで毎日つながっている国の数は、それ以上だ。300万人、いやおそらくは400
万人が、この巨大な「全てのコンピュータ・ネットワークの母体」を利用している。(訳注7:この文章の初出は、1993年。)

 インターネットは特に、科学者たちの間で普及している。そしておそらく20世紀後半の科学上の道具としては、最も重要なものだろう。効果的で洗練されたアクセスは、特殊なデータの供給や、個人的なコミュニケーションを可能にし、科学的研究のスピードを、非常に速くしている。

 1990年代初頭におけるインターネットの成長の速さは目を見張るもので、猛烈といってもいいくらいだ。電話ボックスよりも、ファックスよりも速い伸びを示している。昨年(訳注7)インターネットは、20%の伸びを示した。ひと月に、だ。TCP/IPに直接接続しているホストマシンの数は、1988年以来、毎年、倍になりつづけている。インターネットは、軍や研究機関にある本来の基盤を飛び出して、公立図書館や商用分野はもちろん、小学校や高校でも利用されている。

 どうして人々は「インターネット上」にいたいと思うのか?その理由の一つは、そこに純粋な自由があるからだ。インターネットは、まったく、現代的で機能的な「アナーキー」の貴重な実例なのだ。「インターネット社」なんてものはない。検閲官も上役もいない。役員会もなければ、株主もいない。原則として、TCP/IPプロトコルのルールに則っている限り、どのノードも他のノードに対しても同等に話せる。それはあくまで技術的なことであって、社会的でも政治的でもない。(インターネットを商用利用していると、多少のもめ事はある。しかしビジネス群が自分たちのリンクを供給するに従って、状況は変わりつつある)

 インターネットはまた、費用が破格でもある。電話のシステムと違い、インターネットは全体として、長距離通話料がかからない。殆どの商用コンピュータ・ネットワークと違い、アクセス時間ごとの料金もかからない。実際、「インターネット」自体、全体としては、公的には存在すらしないわけだから、決して何かに「料金」がかかるといったことはないのだ。インターネットにアクセスする人々が作るそれぞれのグループが、彼ら自身のマシンと、彼ら自身の地区の回線に責任を持つことになる。

 インターネットのアナーキーさは奇妙で不自然だと思われるだろう。しかし、これは至極当然といえば当然の結果なのだ。これは、英語のアナーキーさに相通ずるものがあると言えよう。誰も英語を貸さないし、所有していない。「英語を喋る人」として、正しい英語のしゃべり方を猛特訓するのはあなた自身の手に委ねられているわけで(政府が最低限読み書きの勉強を手助けしてくれるが)、あなたは英語を何に使ってもかまわないのである。別の言い方をすると、、誰もが英語に懸命にとりかかり、ちょっとずつ上達して行き、結局英語が使えるようになると言ったところ。それは面白く、魅力的でさえある。多くの人々が、英語を駆使し、活用し、教えて生計を立てているのだが、英語は公的財産、所有物でなのである。同じことがインターネットにも当てはまる。果たして英語が、「英語株式会社」などという風になり、理事会やチーフ・エクゼクティブ・オフィサーや総裁、年次総会などを持つようになるだろうか?そうなったら、多分英語はもっと語彙が少なくなり、新しいアイデアももっと少ないものとなるだろう。

 インターネット上の人々は、自分自身の公共機関と同じような感じを抱いている。制度化に対して拮抗する公共機関。インターネットは誰にでも属していて、誰にも属していない。

 それでも、いろんなインタレスト・グループが全部文句を言っている。ビジネスマンはインターネットをしっかりした足がかりとして使用したがっている。政治家は、インターネットを完全に統制のとれたものにしたがっている。科学者は、学術的リサーチに使いたがっている。軍人は、スパイ活動と防衛面で利用したがっている。など、など、など。

 こういった争いは、今日も微妙なバランスを伴って続けられている。かつて、NSFnetの高速・大容量線は、「インターネット・バックボーン」として知られていた。それらの持ち主は、他のインターネットに対して殿様風を吹かす事が出来た。しかし今や「バックボーン」はカナダ、日本、そしてヨーロッパにまで広がり、さらにビジネス上のトラフィックのために特別に創設された、個人所有の商用インターネット・バックボーンも用意されている。今日、デスクトップの個人所有コンピュータでさえインターネット・ノードにする事が出来る。それを抱えて運ぶ事だって出来る。さらに小型化してあなたのリストの上に乗っているかもしれない。

 しかし、インターネットで、何をするんだろう?基本的には4つある。電子メール、ディスカッション・グループ、長距離コンピューティング、ファイル転送である。

 インターネット・メール、通称「e-mail」。エレクトロニック・メール。

 アメリカの郵便(インターネット常連からは、蔑称「スネイル(かたつむり的)メイル」と呼ばれる)よりはるかに早い。インターネット・メールは、ファックスみたいなものだ。電子テキストなのだが、あなたはお金を払う必要がない(少なくとも直接は)。全地球規模であなたは送信が出来るのだ。電子メールは、ソフトウェアや圧縮されたデジタル・イメージだって送付できる。新しい形態の郵便が今や使えるようになっている。ディスカッション・グループ、「ニュースグループ」は、それ自身の世界である。このニュースやディベート、論争の場は「USENET」として知られている。USENETは、ある意味ではインターネットとは全く違うものである。どちらかと言うと、ゴシップ好きやニュースに飢えた莫大な群衆の波がインターネットをさまよい、多数のプライベートな「裏庭のバーベキューパーティー」を目指しているようなものである。USENETは、社会的会合のとしての、物理的ネットワークではない。

 USENET上に2500にも分岐したニュースグループが存在し、個々のディスカッションが、一日で700万語ものタイプされたコメントを生成する。USENET上でコンピューター関連の会議が圧倒的に多いのは自然のなりゆきだが、他にも様々な話題が存在し、増え続けている。USENETでは、さまざまな無料電子ジャーナル誌、刊行物も配布している。

 ネットニュースと電子メールはインターネット自身の高速な中心核でなくても十分活用出来る。通常の電話線で簡単に利用出来る。インターネットの周辺の領域、BITnetやUUCP、Fidonetからでも利用可能だ。あとの二つのサービス、長距離コンピューティングとファイル転送は、「ダイレクト・インターネット・アクセス」が必要となってくる。TCP/IPを使うわけだ。

 距離コンピューティングは、ARPANET時代の妙案であるが、一部では非常に有用なサービスである。プログラマは離れたところのパワフルなコンピュータに計算をさせ続けることが出来る。プログラムをはしらせて、記述することも出来る。科学者は海を隔てたスーパーコンピュータを活用できる。図書館は、彼らの電子カード・カタログを自由に検索していいように提供を始める。膨大なCD-ROMカタログは、このサーヴィスによって飛躍的に役に立つようになるのだ。

 ファイル転送は、インターネット利用者が、遠くのマシンにアクセスしてプログラムやテキストを拾って来る事を可能にした。多くのインターネット・コンピュータが、誰もが匿名でアクセス可能になっており、公共ファイルを無料でコピーして良いようになっている。ほんの数分のダイレクト・アクセスでまるまる1冊の本が手元に届く。1992年現在、100万以上の公共ファイルが誰にでも入手可能である。(さらにそれ以上のファイルがアカウント獲得によって入手可能)インターネット・ファイル転送は、新しい出版形態となりつつある。読者は電子情報を必要に応じてコピーし、必要なだけ入手する。無料で。新しいプログラム"archie"
"gopher" "WAIS" などは膨大な公文書を探しカタログを作るよう開発された。

 頭のない、無秩序で無数に枝分かれしているこのインターネット。これはパンに出来るカビのようなものだ。十分なパワーを持ったコンピュータは潜在的な胞子である。それは、2000ドルもしないし、全世界の人々が購入出来る。ARPAのネットワーク、核の大量虐殺のあとの荒廃した社会のコントロールを保証するようにデザインされたものが「インターネット」というミュータントの子供にとって変わった。まったくコントロール出来ず、冷戦後の電気的な「地球村」と目されつつ広がり続けている。90年代のインターネットの広がり方は、70年代におけるパソコンの広がり方に似ている。より速やかで、より重要ではあるが。より重要、というのは、破格で簡単に、地球規模でアクセスし、情報を保管することが出来るからだ。

 インターネットの未来は、より大きくなり急激に早くなるであろう。インターネット上でのコマーシャライゼーションは、いま最も熱いトピックスである。あらゆる手段の未開の新しい商用情報サービスが期待されている。

 連邦政府もまた、この予期せぬ成功に喜び、行動している。NREN(ナショナル・リサーチ・アンド・エデュケーション・ネットワーク)は1991年の秋に、5年間に2億円の予算を「インターネット・バックボーン」のアップグレードに使うように米国議会から認可された。NRENは現在の最速のネットワークよりさらに50倍も早くなるだろう。

 ブリタニカ百科事典の全ページが瞬時に転送されるようになるのだ。コンピューターネットワークは3Dのアニメを使用するようになり、ラジオと携帯電話がポータブルコンピュータにリンクし、ファックスや音声、高画質テレビにつながっていく。マルチメディア・グローバル・サーカスだ!まだ希望であり、計画の段階ではある。本当の未来のインターネットの姿は、今日の目論見からは遠くかけはなれたものとなるだろう。爆発的に広がるインターネットに、計画は通用しない。結局、今日のインターネットは当初予定していたRANDの厳しい計画、大量虐殺後の命令網の姿から大きくかけ離れている。

 これは明快で楽しい皮肉である。どうやってインターネットにアクセスしよう?そう……もしあなたがコンピューターとモデムを持っていなければ、一台手にいれてみてはどうだろう。あなたのコンピューターは端末として活躍する。通常の電話線がインターネットにリンクしたマシンに接続してくれる。この、少々遅いがシンプルな接続方法で、ネットニュースの議論に加われるし、電子メールも使える。持つ価値は十分ある。これだけの利用でも、あなたは「インターネット上にいる」と言って良い。もしあなたがキャンパスにいるのなら、あなたの大学はダイレクトに高速のインターネットTCP/IP線につながっているはずだ。インターネット・アカウントがキャンパスのマシンに供給されており、長距離コンピューティングやファイル転送といった、かっこいい事が出来る。いくつかの町、例えばクリーブランドでは、「フリーネット」コミュニィティ・アクセスを提供している。ビジネス界はインターネット・アクセスに進出し、希望者に提供したがっている。標準価格は月に40ドルくらい。ケーブルテレビと同じくらいの料金体系だ。90年代が進むにつれ、インターネットへのリンクはより安く、簡単になっていくであろう。操作性が良くなるにつれ、荒涼としたUNIXインターフェースのTCP/IPがたくさんの部屋から旅だって行き、ユーザー・フレンドリーな操作性にとってかわる。悪くないニュースだ。

 インターネットを学ぶのは賢い選択である。世紀が変わる頃には、「ネットワーク技術」が、以前唱えられた「コンピュータの素養」と同じように、あなたの人生に影響を与えることだろう。


より詳しく知りたい方に。

The Whole Internet Catalog & User's Guide、Ed
Krol著 (1992)

O'Reillyand Associates, Inc. 明快で専門用語がなく、驚くべきネット ワーク・リテラシーのビジネスを紹介している。多くのコンピュータ書籍
は面白くしようと努めているが、クロルさんの本は、本当に面白い。

The Matrix: Computer Networks and Conferencing Systems
Worldwide
.

John Quarterman著. Digital Press: Bedford, MA. (1990)

強力で高度な技術を驚異の視点から描き、我らがネットワークされた新しい惑星を詳述。

The Internet Companion

Tracy LaQuey with Jeanne C. Ryer (1992)

人生を変えるインターネット経験の逸話を含んだ福音的なエチケットガイ ド。アル・ゴアの前置きが読める。

Zen and the Art of the Internet: A Beginner's Guide

Brendan P.Kehoe著 (1992)

簡潔だが、ためになる。情報をてなづける役立つマシンについての良きア ドバイスが読めるインターネット・ガイド。氏のガイドの電子フォームは
、まったく驚くべき事に無料で入手出来るようになっている。私は同じこ とをすべてのF&SFの科学記事でやるつもりだ。この記事ももちろん、その一つである。私のインターネット・アドレスは bruces@well.sf.ca.us である。


95年秋口の記述より

ブルース・スターリング氏に快諾いただきましたので、上記「インターネット小史」日本語化を試みたく思います。しかし本当に良いのか、ブルース(←気楽に呼ぶな)完訳出来るんだろうか死なないだろうな。とりあえず、こちらの「滑稽珍聞」で、以下のような感じの連載形式でやっていきたく思いますが。(なぽべん氏、余裕あったらコレ挑戦してみる?)



2008年8月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

このアーカイブについて

このページには、1999年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは1998年6月です。

次のアーカイブは1999年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.13