渡辺和博さん死去=「マル金、マルビ」で流行語大賞
「ベストセラー「金魂巻」などで知られるイラストレーターでエッセイストの渡辺和博さんが6日午前1時46分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去した。56歳だった。広島市出身。葬儀は10日午前11時から東京都新宿区須賀町14の1の四谷たちばな会館で。喪主は妻規子(のりこ)さん」
……お悔やみ申し上げます。ググってもひっかからないようですので一応書いておきますが……ナベゾさんとして認識しております……うーん。なお、南伸坊さんは「滑稽新聞」の黒坊さんから来たペンネーム。お二人は、赤瀬川原平絵文字工房のご出身。(追記:なべぞ、黒坊、ともに「滑稽新聞」の絵師だったひとです)
ググって見たら以下記述を見つけた。(参照 )
「1972年、私は上京し神田にあった「現代思潮社・美学校」という私塾のような学校に入学した。現代美術の作家や舞踏家を集めて運営されていたこの学校には各々の作家が受け持つ工房と名付けられた教室があり、私は赤瀬川原平か画家の中村宏かどちらのクラスに入るのかを迷っていた。
そして事務局で中村氏の面接を受けることになった。
私は氏の作品は数点しか知らず、稲垣足穂との共著(いつの出版だったのだろう)のことも当時知らなかった。中村氏の到着まで多少時間があったように思う。室内の椅子には舞踏家の笠井叡(天使館主宰)が背筋をぴんとのばし腰掛けていた。後日、私は「天使論」という本を読む事になり、「七つの秘蹟のための舞踏会」という名の公演にも行った。天使館の新聞紙じみた会報の中には、三島由紀夫、澁澤龍彦などの寄稿文が載せられていた。
中村氏との話しの中で私は「ガロ」などのマンガに興味があり、多少政治的で印刷物にも関心があることを告げていた。(「ガロ」ではつげ義春や鈴木翁二が好きだった)
それではという事で私は赤瀬川原平の絵文字工房に行くことになった。
事務局の壁には赤瀬川氏の模型千円札をボルトで締めたパネルが飾られていた。
クラスには、のちイラストレーターでガロ編集長もやった渡辺和博がいた。
早稲田や法政の学生がいたが、内ゲバセクトもここでは対立した様子はほとんどなかった。「アリオン」というアニメの演出をのち手掛けた浜津守が年令も近く彼のアパートにはよく遊びに行った。
渡辺和博氏は当時、恵比寿に住んでいた。一度だけ部屋に遊びに行き、様々なジャンルの本があったことが印象に残っている。たまたま話しが三島由紀夫の話になり私は三島の本は殆ど読んだかの様な嘘をついた。実際は「美しい星」という空飛ぶ円盤(といっていた)を扱った小説とあと1、2冊読んだぐらいであった。」
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◎「タモリ倶楽部」での[江戸市中引廻しツアー]の行程ルートというのが転がっていたのではりつけてみた。
巡回中みつけた「テレビブログ」(参照 )テレビは嫌いではないがそんなに見るほうでもない、でもテレビブロスは毎週買ってます。